バブル世代として社会へ、デザインと出合う

早稲田大学で主に経済学を学んだ私は、経済記者になりたいと思い、日経BP社(当時の日経マグロウヒル社)に就職しました。

1988年当時、日本はバブル景気に沸いていて、経済が一番ホットな分野だったからです。系列会社である日経新聞社への就職も考えましたが、報道の側面が強い新聞に比べて、雑誌は「速報性に頼らない、独自の切り口でテーマスクープを扱える」と面接官に言われ、面白そうだと思ったのが、日経BP社を選んだ理由です。

最初に配属されたのが、創刊したばかりの「日経イベント」編集部。ちょうどこの年の前後は市政100周年による地方博覧会ブームで、世界・食の祭典、’88さいたま博覧会、アジア太平洋博覧会、横浜博覧会、世界デザイン博覧会、国際花と緑の博覧会など、主な地方博覧会や国際博覧会にはほとんど取材に出向きました。

しかし博覧会ブームが終わると同時に雑誌も休刊するのですが、休刊の前年の1992年に、私は「日経ストアデザイン」の創刊スタッフとして異動になります。これは「日経アーキテクチュア」から派生した雑誌で、大店法が改正され、日本各地で大規模ショッピングセンターが進出し始めたことが背景にありました。私はここで建築やインテリアデザインの世界に触れ、多くの建築家やデザイナーと交流を深めます。

2014年3月号まで編集長を務めた雑誌「日経デザイン」

2014年3月号まで編集長を務めた雑誌「日経デザイン」

博覧会と商業施設作りは、土地に建物を建てるという基本的なクリエーティブは変わらないのですが、博覧会は一過性であるのに対し、商業施設はビジネスとして継続するものです。その資本主義の根源的な力に魅力を感じました。独学で大判カメラの扱い方を覚え、自前の機材を持って、日本中を取材・撮影して回りました。

その後、また「日経ストアデザイン」が休刊する前年の1994年に「日経デザイン」編集部へ異動になります。これはグラフィック、パッケージ、プロダクトなど、あらゆるジャンルのデザインを扱う雑誌で、私は新たな領域のデザインに関わることになります。この頃から流行し始めたユニバーサルデザインやエコデザインといった概念に触れ、デザインは人間の営みにもっとポジティブに作用し、社会を大きく変えるクリエーションであることを実感します。

2008年に「日経デザイン」編集長に就任。その3年後に東日本大震災を経験し、また私自身が大病を患ったことから、社会に向けてデザイン運動をしようと思い至ります。それが「スマートデザイン」で、「いつもともしもをつなぐデザイン」という新しいデザインの定義を打ち出しました。2014年に私は日経BP社を退社したため、この運動は道半ばで終わりましたが、またいつか再開できればと思っています。

日経BP社在籍中に編集した書籍の一例「アップルのデザイン」

日経BP社在籍中に編集した書籍の一例「アップルのデザイン」

下川一哉
株式会社意と匠研究所代表 / 日経デザイン・前編集長
1988年、日経マグロウヒル(現・日経BP社)入社。日経イベント編集、日経ストアデザイン編集などを経て、1994年に日経デザイン編集に配属。1999年より副編集長。2008年より編集長。2014年3月31日に日経BP社を退社、意と匠研究所を設立。
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